視覚神経科学研究室では、光と色の知覚にまつわる脳と心の仕組みを解き明かすべく、動物実験、心理実験、計測手法の開発を行っています。
豊橋技科大に異動してから12年目、ラボに学生を受け入れるようになって8年目となります。
この3月には、本研究室から初となる博士学取得者が卒業していきました。ガラスの質感を研究した大原君は民間企業へ、色誘導錯視を研究した兼松さんは九州大学へと就職しました。それぞれ2本の学術論文とともに博士論文を提出し学位取得となりました。私自身、初めて指導する博士後期課程の学生であり、論文の共同執筆には独特の難しさと喜びがあることを理解しました。かつての恩師の指導を何度も思い返す日々です。
大原君が行ったガラスの質感研究は、表面の光学特性によって物体形状知覚が変わる現象に着目したもので、光沢がつくと凸凹感が強まり、透明にすると逆に弱まるという現象の発見でした。透明物体には概して光沢がついていますが、このとき光沢の強度を水やガラスの反射率に設定すると立体感の強調と減弱がバランスして、本来の正しい立体感が知覚されることも発見しました。何気なく見ている物体の形状知覚ですが、陰影だけでな光沢や透明といった光まできちんと見分けていたことを示す重要なデータです。本研究は2本の学術論文(Ohara et al., i-perception 2020; Frontiers in Psychol 2022)として公表されました。本研究はまた、オーストラリアUNSWのJuno Kimとの国際共同研究でもあります。大原君が学部4年のときにJunoのラボに短期留学したことがきっかけで始まった研究が、みごと大成しました。
兼松さんの発見した色の錯視は、細い線の見えが近傍からは色同化、少し離れた周辺からは色対比効果を起こすことについての詳細な研究でした。原理は既知の錯視と似ていますが青黄色方向にしか強く起きないことが知られており、色のもう一つの基本軸である赤緑色方向にはなぜか効果が弱いとされてきました。それが、かなり細かな刺激(視野角0.03度以下)を使うことで、強力に赤緑軸でも色錯視が生じることを示したものです。この発見は網膜における色情報処理についての示唆を与えるだけでなく、工学的にも意義があります。カラー印刷のドットパターンや布織物の色糸の配置、さらには近年の高精細なディスプレイではこのような細かなパターンが日常的に表示されるようになっているため、知覚効果を知ることには意義があります。また錯視自体が大変面白く、Illusion contest of the year 2018にノミネートされたことからもその関心が示されます。兼松さんは学術振興会の特別研究員(DC2)として立派に研究を成し遂げることができました。論文は2本(Kanematsu and Koida, Sci. rep. 2020; Frontiers in Psychol. 2022)公表されました。
本研究室のテーマは、色と光の知覚にまつわる光学、心理学、生理学、理論の全領域を対象とすることです。上記の心理学手法による研究のほかにも、D2及川君によるタングステン針マーキング技術開発とサル外側膝状体の精細マッピングや、M2磯村君の色分光シミュレーションと自然界の色グラデーション計測に関する研究も着実にデータが積み重なってきて近日中に公表が期待されます。学内共同研究の豊橋プローブプロジェクトでは神経電極の開発を続けているだけでなく、スピンオフともいえる高精細低侵襲電極位置マーキング法についても研究が進んでいます。
新学術領域「深奥質感」はその前身である「多元質感知」「質感脳情報学」と本研究室の立ち上げから関わり、研究費支援だけでなく研究領域の発展にも深く関わることができました。さらには研究集会で視覚科学フォーラムの会長を昨年より任され、今年も9月に研究会を開催予定です。国際会議であるAsia Pacific Conference on VisionはCouncilとして関わっているものの、2019年に大阪で主催して以来Covid-19の影響により開催中止が続いています。国際会議に出かけなくなったことで外的刺激を受けにくくなっていることが心配です。せめて研究室付近だけでも人的交流を高めて、活発なアウトプットを維持したいと考えています。ぜひみなさま、見学訪問にお越しください。オンラインディスカッションなども歓迎です。よろしくお願いします。
2022年4月 鯉田孝和